前橋家庭裁判所 昭和35年(家)1271号 審判 1961年1月31日
本籍 大韓民国 住所 群馬県
申立人 李し乃(仮名)
本籍及び住所 申立人と同じ
事件本人 李京子(仮名)
主文
未成年者である事件本人の後見人として申立人を選任する。
理由
申立人は主文同旨の審判を求め、事件の実情として、事件本人は申立人と、その夫李永公との間に昭和二三年十月一一日父母の住所である前橋市△△町○○番地で出生した未成年者である。事件本人の父李永公は昭和二四年六月一九日申立人と事件本人を遺棄して最後の住所たる前記住所より失踪し、その後音信なく生死不明のため、申立人は夫李永公を被告として前橋地方裁判所に離婚訴訟を提出し、同庁昭和三四年(タ)第一〇号にて原告勝訴の判決があつて該判決は確定した。しかして右判決に於て事件本人の親権者は母である申立人と指定されたが、今般帰化手続をなすに際し、韓国法によれば夫、夫婦離婚の際の親権指定の規定なく、当然夫が、親権者となる旨定められている由にて、前述のとおり事件本人の親権者たる李永公が親権を行使し得ないので、事件本人出生以来今日まで事件本人を養育している申立人を選任せられたい、というのにある。
よつて按ずるのに、取り出しにかかる当庁昭和三十五年(家)第二三号後見人選任申立事件記録中の調査官の調査報告書、取り寄せにかかる前橋地方裁判所昭和三四年(タ)第一〇号離婚事件記録に本件について調査官の調査の結果を綜合すると、申立人は昭和二三年一月頃から李永公と内縁夫婦として前橋市内で同棲している間に、同年一〇月○○日両者の間の子として事件本人が出生した。申立人と李永公は同年一一月○○日婚姻届を前橋市長に届け出ると共に、同日李永公は事件本人が自己とその妻である申立人との間に嫡出子として出生した旨同市長に出生届出をした。李永公の本籍は朝鮮であるため、前記届出を受理した戸籍吏は妻の本籍地戸籍吏に対し婚姻届書の副本送付の手続をし、申立人の戸籍はこの婚姻により除籍されたが、婚姻、出生の届を受理した前記戸籍吏は夫である李永公の本籍地に副本送付の手続をしていない。その後昭和二四年六月○○日申立人の夫李永公は自宅を出たまま音信不通で、その消息は不明であつたところから、申立人は事件本人を伴い、自己の実家である勢多郡北橘村大字△△△甲○○○番地の○に居住している。そうして昭和三四年七月夫との離婚を決意し、前橋地方裁判所に離婚の訴を提起した。同裁判所では被告に対し公示送達による呼出で同年十一月○○日離婚の判決がなされ、この判決は同年一二月○日確定した。申立人はその子である事件本人と共に日本への帰化を希望し、その申請手続をしているが、事件本人についての法定代理人がないため、その手続が中断せられている。以上の事実が認められる。そうすると、事件本人の本国である大韓民国の当時の親族法によれば、申立人は離婚によつて事件本人に対する親権を失い、父である李永公が親権者であるところ、同人は前記のように所在不明のため、離婚前から親権を行使できない状態にあつたから、事件本件については前記の父母の離婚判決確定により後見開始し、現在の大韓民法親族法によつても、変りはない。そうして事件本人には後見人が選任されていないので法例第二三条第二項により、わが民法により後見人を選任すべきである。そうすると、事件本人の出生以後引き続き母親としてその監護養育をしている申立人を後見人に選任することが事件本人の福祉にそうものと認められるので主文のように審判をする。
(家事審判官 毛利恒夫)